2019

04.01

縄跳びのバラ鞭



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 Tied-upの周年のくじびきで、縄跳びのバラ鞭が当たりました。軽くて、痛いです。そして、みんななんとなく想像がつくらしく、なぜか打たせてくれません。(笑)

 私のSMの目覚めは子供の頃、遊びに行くと泊まらせてもらっていた、叔父の書斎で読んだ、さいとうたかお作の「影狩り」でした。
 それは、くノ一として忍び込んでいた腰元を、腰巻き一枚にして吊って、鞭で叩くシーンです。その後、彼女は座禅ころがしに縛られ、縄の間に竹を入れてぎりぎり締め上げられてました。すっかりぼろぼろになって寝ていると、なんか家老だったかおじいちゃんがやってきて、縛られて自由にならない彼女の後ろで蝋燭をあっちへやったりこっちへやったりして怯えさせておりました。まあ、その後一度もそのまんがを読んでいないので、子供の記憶なんですけれど。

 私は、すっかり、それにはまってしまい、泊まるたんびに山のような叔父の蔵書の中に、そういうピンと来るものがないか、せっせと漁っておりました。
 次に、ひっかかったのが、小説現代かなんかの月刊誌に載っていた。ある青年が入れ墨の彫師になりたくって、弟子として下働きかなんかをしてるときに、兄弟子かなんかの練習台に入れ墨を入れられるという話でした。これはもう、題名も作者も覚えてないんですけれど、彫るための痛いシーンが延々と続く話でした。
 刺青だと、谷崎潤一郎が有名すぎて、検索しても、見つからないまま今にいたっています。

 叔父はごく普通の男だったらしく、私があんなに頑張って、次々と夜中に本を読み漁ったのに、SMは見つからず、あったのはせいぜい、私を「やおい」好きにしたヘルマン・ヘッセの「デミアン」くらいでした。
 しかたなく、私は、本屋に出掛けて、自分の好きな本を探すようになりました。そして、文庫本のコーナーをうろうろして、ようやくジャン・ド ベー作「イマージュ」を見つけました。

 3つめの物語を読んで、自分が「痛み」にこだわっていることに気が付きました。そして、自分が受けるのはやっぱり嫌だったので、これは、もしかしたら私はSなんではなかろうかと、おぼろに思っていました。受け手をやった時期もありましたが、鞭のような一瞬で通り過ぎる痛みしか受けられません。そのうえ、私は、夢をみすぎていて、他の付随物とうまく向き合えませんでした。

 眠れない夜に目をつぶっていると、闇の中、池の中央に浮いている赤い椿の花があり、そこに、ぽとんぽとんと、血の雫が落ちていく。そして、どこか遠くで悲鳴がする。哀願、絶望、涙。愛していること。私は、いつも、そんなイメージから逃れられないでいます。

 いや、縄跳びぐらいじゃ、血は流れないか。流れないと思う・・・・・・。誰か、そこまで、やらせてくれないかなぁ。なんなら、もっと酷いバラ鞭だって持ってるんだけど。(笑)

Category: リアルライフ
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