2017

06.21

スパンキングとは?


Spanking is a type of corporal punishment involving the act of striking the buttocks of another person to cause physical pain, generally with an open hand (more commonly referred to in some countries as slapping or smacking). More severe forms of spanking, such as switching, paddling, belting, caning, whipping, and birching, involve the use of an implement instead of a hand.

 スパンキングは、一般的には手のひらで物理的な痛みを引き起こすために、別の人のお尻を突く行為を含む身体的罰の一種です(より一般的には、いくつかの国では叩き打ちまたは殴打と呼ばれます)。 スイッチング、パドリング、ベルト、杖、鞭打ち、およびバーチングのような、より深刻なスパンキングの形態は、手の代わりに器具の使用を伴う。
https://en.wikipedia.org/wiki/Spankingより



 スパンキングとは、なんなのだろう。常にその問題はそこにあります。SMとスパンキングはどうして違うものと捉えられてきたのでしょう。一つのカテゴリ一つの文化として、育てられてきたのはどうしてなのでしょう。
 そこで、大人が双方の同意の元に行う性癖のひとつとしてスパンキングを考えてみましょう。(スパンキングは、前程をディシプリンスパンキング。つまり、お仕置きのスパンキングとします。)

 一番に注目すべきは、はそれが発達してきた場所です。
 スパンキングは、学校、家庭、職場等で行われてきました。つまり「懲罰」として、正々堂々と日の当たる場所で認められた行為でした。それは、海外の小説、子供向きアニメなどに、スパンキングシーンが生活文化の一つとして頻繁に登場することからもあきらかです。
 このことは、大人になって、お互いの了解のもとにスパンキングを行う人たちに、大きく影響を与えています。
 たとえば、性行為との関わりです。スパンキングは、教師と生徒、親と子供などの教えるものと導かれるものによって作られていましたので、表立って性行為が介入する余地はありません。
 それから、理由です。スパンキングはお仕置きですから、何か理由がなければなりません。理不尽に行われる懲罰は、忌避されるのは当然です。
 最後に「許し」です。罪を犯し、叱られ、罰を受けたことで、その罪は精算されて許しが与えられたと考えます。コーナーで反省させられても、優しく抱きよせられよしよしされる場合も「よし、いっていいぞ」と、あっさりと日常に戻る場合もすべて同じです。
 これらのことを前提にしてスパンキングは成り立っているので、大人が愛好する場合もこの形式を下敷きにしたものになるわけです。

 しかし、現実はどうでしょうか。どんなにキーが叱られるのが好きで、自分の欠点を指導してもらいたいと主張したとしても、自分の中にもやもやとした欲求があるのを否定できないでいます。
 もちろん、それは個人差があるのですが、性と直接に結びつかないとしても、辛いスパンキングによって開放感や達成感を得たり、酷い鞭打ちの後に神の法悦を感じたりするのは、特別な欲求を満たした事にはならないでしょうか。
 また、大人になったキーであれば、叱られるための理由を自分で作り出した事がない人は少数なのではないでしょうか。普通に暮らしていれば、そうそう、悪いことをする訳にもいきませんから、お手軽にいたずらしたり、失敗したりしてみせるキーがいても仕方がないと思われます。
 カーであれば尚更の事です。スパンキング動画が性的欲求に影響を与えないカーがいたら、お目にかかりたいです。多くのカーが触れないでいても、そこに性的開放に似た感覚を得ていると思われます。
 また、そこに拘ることなくディシプリンスパンキングから、自由に性行為へ移る人たちも存在します。ディシであるか、そうでないかは非常にあいまいなものなのです。
 最終的に、お仕置きを行ってもいいという選択を与えるのはキーです。どんな場合でもキーは「NO」ということによってお仕置きから逃れる事ができます。スパンキングがごっこ遊びやファンタジーの行為と捉えられてしまうのも、キーが望んでいるからこそのカーであるためなのかもしれません。
 (もちろん、ディシプリンスパンキングの行為は、お互いの関係性がどういう形になっているかによって、かぎりなく、本来のお仕置きに近い行為を作り出すことも可能ですが。)

 さあ、そうするとディシプリンスパンキングとは、なんだということになったでしょうか。そして、スパンキングと捉えられる行為は?
 私が現実の世界で会った多くのスパンキングを行う人達について言えることは「多様性」です。人それぞれのスパンキングについての考え方、習慣、あこがれ、結果があって、スパンキングとはなんなんですよ・・・と、定義することがとても難しいとうことです。じゃあ、なんでこんなことをぐだぐたと書き連ねるのかと聞かれると、要するにこれが私の一番の性癖なのかもしれません。
 
P.S.ここで一部の人にしか通じないであろう言葉を紹介しときます。新宿近辺のとあるバーでは、SMを愛好する人たちをエスエマー。そして、スパンキングを愛好する人たちをスパ人と呼んでいます。


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Category: スパンキング
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