2010
舞姫・3
「レッスンの前に服を脱いで。」
誰もいないレッスンルームに教師の声が静かに響く。二人きりの気まずさに、照明の灯りが床の上に丸い光を重ねているのを見つめていた私は、はっと我に返った。
「服を脱ぐんですか?」
思いもかけない指示に、私の声は上ずった。思わず誰かの助けを求めて周囲を見廻しても、誰に助けを求められる訳でもない。教師と私の二人だけ。服を脱ぐってどういうことなのか、実感がわかないまま教師の顔をまじまじと見つめてしまい、相手の揺るがぬ視線に困惑する。
「ここで?」
もう一度周囲を見渡す。ぴかぴかに磨き上げられた広々として何も無い床の向こうには、一面の鏡。そして、その鏡を一直線に区切って取り付けられた、レッスンのためのバー。そんな場所で、よく知らない男を前にして服を脱ぐという、あまりの非現実さに私は困惑した。
「脱げません。」
ちょっと首をかしげ、じっと見つめてくる教師は、頬を軽く歪めるようにして笑い。
「脱げないのならレッスンはできない。お帰り。」
と、扉の方へ顎をしゃくった。
本気で脱げと言っているのだ。私は、そこへ到ってようやく、自分が、今、ここで、服を脱がなければならないと言う事を理解できた。必死に首を振る。人前で服を脱ぐ、しかも、こんなだだっ広い場所で。愛情を交わそうとしてる訳でもなく、ただ、服を脱ぐなんてできる訳がない。
だが、教師は、ただ、黙って立っていた。私に、出ていくか…それとも、残るのかを選ばせて。ただ、待っている。
私の頭の中は、混乱と、恐れと、羞恥で、でんぐりがえりそうである。
「向こうへ行って脱いできてもいいですか?」
「いや、だめだ。・・・ここで脱ぎなさい。」
私は、追い詰められて満足に息もできない有り様だった。
だけど、ここまで来て、逃げ出すなんてできない。生来の意地っ張りの性格が頭をもたげ、一つ、息を吸いこんで、私はブラウスのボタンを外し始めた。震える手で、一つずつボタンを外して行く。慣れているはずの動作が、うまく行かず、自分がどれほど緊張してるのかが分かって、ますます、気持ちが上ずってきた。
ブラウスの前が開くと、布地の中から、一つずつ肩を引き抜きだした。必要が無いのに、身を縮めようとして、腕がうまく抜けない。肩が袖に引っ掛かって、それで、尚更焦り、身体は熱くほてってくる。ブラウスを床に落とすと。正面の鏡に、キャミソールとスカートだけの自分の姿が映っていた。
かああああっと、顔がほてる。「恥ずかしいってこういう事なんだ。」と、改めて認識する。
でも、ここでやめたら、ばかみたいじゃないか。もう、一枚脱いじゃったのだもの。私は自分に言い聞かせながらキャミソールをスカートから引っ張り出すと、一気にまくりあげた。頭から布切れを抜くと、もう、鏡を見るのが怖かった。上半身はブラだけになっているはず。
スカートを先に・・・?それともストッキング?なんてバカな事で迷ってるんだろう。どっちにしても、両方脱がなきゃいけないのに。それでも私は、ストッキング姿を見られるのが嫌さに、先にそれを脱ごうと決めた。そして、本能的に、教師に背を向けようとした。
「こっちをむいたままだ。」
あああ、嫌。どうして?服を脱げばいいんでしょ?なぜ、目の前で脱がなきゃいけないの?しかも教師の方を向いたまま?一度、背を向けてしまうと、正面に向き直るのがなんて難しいんだろう。ただ、それだけの動作に恥ずかしくて汗が滲んで来る。
勇気を出して、手をスカートの裾からもぐりこませて、かがむようにしてお尻の方へ廻すとくるりとパンティストッキングを巻き降ろした。立ったまま、綺麗に脱ぐにはどうしたらいいんだろう。身体を堅くして、ストッキングを引き降ろし、足を一本ずつ汗ばんで絡みつくナイロンの中から引き抜こうとした。バランスを保つのが難しい。小さく、できるだけ小さい動作で脱ごうとしているからだ。私は泣きたい気分で、片方の爪先をようやく抜きだすと、足を踏み変えて、もう一方の足にとりかかった。
ブラウスの横にストッキングを落とす。次はスカートだ。チャックを降ろすと後は手を離せばすとんと落ちる。16枚剥ぎのフレアスカートは、身体のどこにも引っかかりようが無い。手を離せば、私はブラジャーとパンティだけの姿になってしまう。どうしよう。どうしよう。でも、迷ってもしょうがない。進むしかないのだ。
自分からスカートを握る手を離したのに、身体が露わになった途端に、私は、しゃがみこんでいた。恥ずかしさに身体が震える。顔を伏せて、床に丸まり、このまま、自分の影の中に逃げ込みたい。床の上で小さくなって震えてる私を、教師は黙って見降ろしているだけだった。
時間が経って行く。このままではどうしようもない。立つしかないのだ。私は、もう一度決心し直し、おずおずと立ち上がり、教師の前に下着姿の身体を晒した。
「お、お願いです。もう、これで・・・・。」
答えは分かりきっていたのだけれど、すがるような思いで言葉を絞り出した。全裸になるなんて、耐えられない。服を抱えて逃げ出したい。
「だめだ。」
淡々とした答えが返ってくるばかりだった。ああ、失敗した。ためらったり、逡巡したり、そんな事をせずに、お風呂に入る時のように、さっさと脱いでしまえばよかったのに。そうすれば、こんなに恥ずかしさにさいなまれる事なく、この時間を通過してしまえたのに。でも、もう、やり直しはできない。
床の上に、輪を描いたスカートから抜けだすと、かがんでそれを拾い上げるとブラウスの上に乗せる。
込み上げてくる羞恥は押さえようがなく。肩をすぼめて腕を後ろに回した。ブラのホックを外す。胸の前の布地を押さえたまま、肩紐から腕を引き抜く。そしてもう片方も。
私は、自分の抱きしめている小さな布地にすがりつくような思いだった。手を離さないといけないのが分かっているのに、一瞬ですむはずなのに、そこを越えるのがなぜこんなに困難なのか。
男の前で、自ら脱いで、胸を晒すと言う事が、こんなにも身の置き所が無くなるほど恥ずかしいなんて思ってもいなかった。
それでも、少しずつ布地はずれていき。私はため息とともに、それを床に落とした。片方の手でしっかりと胸の膨らみを覆いながら。立ちつくす。教師は何も言わない。
私は次の作業に取り掛かる。最後に残った、ただ一枚の身に着けるものを脱ぎ棄てなければならなかった。左手で胸を覆ったまま、私は右手だけでパンティを降ろそうとしはじめた。
いつもは両手でするりと引き抜ける物を、片手だけでしようとすると何と困難な事か。だが、私には左手で胸を覆う事が最後の砦のようになっていて、どうやっても、やめられなかった。不自由に右手だけで少しずつパンティをずり降ろしていく。それが、羞恥を長引かせる結果にしかならない事が分かっていても、恥ずかしさを煽り立てている結果になっている事が分かっていても、どうしようもなかった。
身体中を真っ赤にして、ぎこちなく、最後の一枚を抜きとった瞬間に、私は右手で、下腹の茂みを覆わずにはいられなかった。脚をくの字にして、できるだけ隠そうとして、左手で胸を覆い、右手で茂みを覆い隠そうとする。
その時、私の目に、床に脱ぎ棄てられたまま落ちているパンティが目に飛び込んできた。くしゃくしゃと小さくなってはいるものの、今脱ぎ棄てた形のままに落ちている自分の下着。もう限界だと思っていた羞恥がまた強く襲ってくる。急いでそれを拾って、服の下に隠さなければと思うのに、それをする事は、身体を覆っている手をどける事だった。喘ぎながら、ためらいを振り棄てて私は落ちている下着に飛びついた。
大急ぎで、積み重なっている服の下にそれを突っ込むと、次は、もう一度立ち上がらなければいけない。
なぜなのだろう。一つの動作。一つの呼吸が恥ずかしく。私は、目眩がしそうだった。必死になって自分の身体を隠そうとして両掌を広げても、全裸で立っている事は変えようがない。自分だけが服を着ていない。その事が、広い教室のひんやりとした空気の中で、熱く汗ばんだ身体には、ただただ恥ずかしく居たたまれない。
「手をどけろ。」
最後はそう言われるのは分かっていた。最初から分かっていた。何もかも見せなくてはならない事が分かっていた。それでも、私は、ちらと、教師の肩越しに鏡を盗み見ずにはいられなかった。すべてを晒す前の、自分の姿を見ずにはいられなかった。
舞姫4へ続く・・
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