2009
狭間に・・・4
自分の感情を理論だてて分析し、並べて、整合性を求めたがる。あるべき姿にこだわって、正しいと間違ってるの間をうろうろする。けれど、根底にある「基準」が自分の感情では、正しさを求めても意味はない。隠していた「わがまま」が浮き彫りになり、まとってる倫理感との矛盾が、自分自身の中で争うからだ。
長い間、行動規範にしてきた倫理感は、無視すると、恐ろしく居心地が悪い。時々、どちらが自分の望んでる事なのか、どうするのが自分の本当の性格なのか・・・と、分からなくなる事がある。
習慣通りに振る舞うと、自分が望んでいるものは手に入らないのが分かっているのに、繕う方が楽なのだ。自分が「正しくあろう」「人に優しくしよう」として失ったものが、いつまでもいつまでもじりじりと、身体の内側を焦がすのが分かっているのに、どうして、習慣を捨て去ることができないのだろうか。
そうして、気がつかないうちに、私は、自分の中の焦燥に捉われてゆく。最初に自分で引いたラインを踏み越えて、行動が破たんし始める。望んでいたもの。こうありたいと願っていたもの。少しずつ育ててきたもの。大事な物をすべてひっくり返し、叩き壊して、もう、自分のものではないと納得させようとする。
小さな子供が、欲しい物を前にだだを捏ねるように・・・。
「だだを捏ねる子供をあやしてもらいたがる欲望。」それが私の行動を支配し始めると、並べていた理論も、いごこちのいい位置を守ろうとする意識も、誰かを愛していた感情もどこかへ行ってしまう。
破綻が始まる。
受け止めてもらいたい。思いっきり相手を傷つけて、ひっぱたかれて、揺さぶられ、引き裂かれ、むさぼり喰われてしまいたい。考えたり、迷ったり、判断したりすることを、何もかも相手に委ねて大声で泣いてみたい。逆らって、もがいて、押さえつけられて、正しく選び取ることを放棄し、悲鳴をあげ、泣き叫けびたい。
混沌とした自分の状況を、相手の秩序に任せて、甘い言葉と痛みの中に、何もかも忘れ、力を使い果たしてぼろぼろになった私を、なんでもない、大丈夫だから、と、優しく揺すってくれる相手・・・。
どうして、そんな時に、欲情するのだろう。ただの帰属意識。ただの依存。ただの甘えだったら、もっと簡単なのに。優しくしてくれる相手に、もしくは支配しようとする相手に従うだけだったら・・・。
私は、布団を頭の上まで引っ張り上げた。泣きそうになってるのに、涙は出ない。喉の奥に詰まったものが突き上げてくるのを感じならが、私は、自分のしゃくりあげる声を聞いていた。
続く
