2009
狭間に・・・3
ベッドヘッドに掛けた縄で、手首をひとまとめにして縛られた。緩く回されて、締まらないように縄止めしてある縛めは、お飾りに近い。けれど、その飾りがあるだけで、私は満足だった。自分で、縄を引いて、その飾りの存在を確かめる。愛撫にすっかり火照った身体を、うっとりと、夢心地にまかせて伸ばし、くつろいだ。
うつぶせになった、足首に手が掛る。ぐいっと、引っ張られて、足にも縄が巻きついてきた。どうやら、今日は、足も縛るらしい。それは、結構、珍しい事態だったので、私は、少しわくわくする。ちょっと逆らって、少し喘いで見せて、それから、広げられた足を閉じようと試みる。足が閉じられない事を確認して満足するために。
人型にベッドにくくりつけられた私は、ちょっとだけ不自由になった身体をもう一度伸ばしてから、もぞもぞと、居心地のいい場所を探して蠢いた。
ぱらり・・。身体の上をゴムチューブを束ねた、お手製の簡易バラ鞭が移動した。房が短いので、あまり音がしないし、扱いやすいので、最近の彼のお気に入りだった。叩く場所によっては、かなり痛い。場所によらなくても、強く打てば、しっかり痛い。
部屋に流れていた音楽のボリュームが少し上げられた。おや、本気で叩くつもりらしい。たまに気が向くと、彼は、そう云う事をする。
ビシッ・・・。第一打目が、身体の上に振り降ろされる。まだ、素の状態の私は、その痛みに軽くすくんだ。
どうして。どうして、打たれたいと思うんだろう?それは、私自身、いつも不思議のタネだった。痛みは「痛み」で、それ以上でもそれ以下でもない。私たちの関係では、特にそうだ。従うことも無く、支配されてもいない。私が望み、彼が与える。望んで差し出した身体には、縄は、あっても無くても同じだ。
それでも一回目のターンの間、私は、身体を捻ったり、叫んだり、もがいたりする。実際に痛くて、ゴムチューブが身体に当たる乾いた音を、楽しむ余裕もない。
「いたっ・・。」
小さな悲鳴。痛い、痛い、と、泣いて見せて、身体を捻って、痛みを散らす。ほどほどの打擲だから、わずかでも動けると云う事は、痛みを耐える事もたやすくなる。身体中がひりひりと赤剥けになってくる感覚が、徐々に広がって行く。
「おしまいにする?」
なぜ、そんな事を訊くのだろう?私は必ず「続けて欲しい。」と、答えるのに・・・。それでも、答える前に私は必ず躊躇う。痛いのには間違いなく、なぜ続けるのか、分からなくなる。やめてと言って、終わりにしてしまえば、もう、痛い目に会わないですむ。それでも私は、必ず「もっと」と、答える。
2回目のターンはさっきよりも強い。叫ぶ声も、大きくなって、身体は勝手に踊り出す。私はこずるく、あまり痛くない場所へと打擲を誘導しようと身体を捻じる。毎回、鋭い痛みに泣くよりも、ちょっと、休憩が入った方がいい。もくろみは、場所を変えようとする彼の意図とすれ違い、大きな悲鳴を上げる羽目になったりする。
もう、ちょっと。もうちょっと。後、少しでおしまいだから。これは、そんなに長くは続かないはず・・・。
2、3打、打っては、その赤く火照った場所を、なぞるように掌が滑る時、くすぐったいような感覚が高まって、打ち寄せてぶつかり跳ね返る。波しぶきが砕けて引いて行く時には、裏返ったそれは快感へと姿を変える。心地よさに酔い。陶酔に揺れる。
「おしまいにする?」
迷う気持ちがない訳じゃないのに、私は結局続ける事を選ぶ。叫ばなくてはならないのが分かっているのに、続ける事を選ぶ。叫び声が湿ってきて、泣き声混じりになるとしても、やっぱり続ける事を選ぶ。
3回目のターン。痛みが火花のように散って、その余韻が消えていくのを楽しむうちに、その向こうに、身体の反応が変わって来るのが分かった。もしも、本当の鞭だったら、こんなに簡単に、見えてくるはずはない。私は本気で泣き叫び、二度と打たれたいと思わないはずだ。心の底では、そう確信しながらも、最初のターンの痛みはもうそこには無い。
すっかり腫れあがった身体に、強く打ちつけられるゴムチューブは、絶対にさっきよりも強いはず。もう、おしまい。もう、終わり。やめて。もう、やめて。心の中で繰り返しながらも、身体はもう逃げない。のけぞりながら、貪欲なまでに、痛みの向こうに高まってくる物を味わいつくそうとする。
ぱんっと、弾けて。今、弾けて。ほら・・・・みえる・・・はず。
くるり・・。指先で廻した名刺の上に、澄まして並んでいる、男の名前。この男が私の身体に手をかけたら、私は平静ではいられないに違いない。恐怖で、固くなり、与えられた痛みに逃げ回り、無様に泣き叫ぶのだろう・・・。
目を閉じた、その闇の向こうにある物を、私は欲しいと思っているのだろうか。痛みは、ほどほどで無くても心地よいものだろうか。そんなはずはないだろう。「痛み」は、やっぱり「痛み」。心地よいものであるはずがないのに。私は、苦笑して、自分の中にある思い出を、そっと押しやった。
続く
