2008
ね・ネット調 教・2
「ゆみかさんは」
「なぜ、私を誘ったんですか?」
「蓮さんの、文字って、まるで私だけに話しかけてるみたいで・・・。だから、ゆっくりお話ししてみたかったの」
「タイピングが得意じゃないのでね」「指を2本使ってぽちぽちと打っているんですよ」
「えー、ほんとかなぁ」
「ほんとですよ」
なぜ、そんなに優しそうに笑うのだろう。いいや。「ほんとですよ」とだけしか書かれていない文字を見つめながら、なぜ、相手が微笑んでいると思うのかしら。相手が、ホームーページの指示通りにアカウントを取り、インストールを始めるのに付き合いながら、何気なく返ってくる言葉を、繰り返し、繰り返し読む。ほんとですよ、ほんとですよ、ほんとですよ・・・・・相手の言葉が、自分の内側に満ちてくる。
「私、蓮さんの、話し方が好き」
「ただの文字でしょうに」
「蓮さんのほんとの声ってどんななのかしら?」
「おや、これは、そんな事も出来るの?」
「うん、ウェブカムを使えば・・・・」
「そうなの?なにか・・・」
なにか?なにか?なにか?私の頭の中で彼の言葉がこだました。
「話してみなさい」
蓮さんが、求めてきている。
「ゆみかさんの声、聞けるのなら是非聞いてみたい。」
私は、彼の文字を見つめる。彼に求められている。それが、私を、どこか幸せな気持ちにさせた。まるで、恋の告白を聴くように胸がはずむ。この人は、私の何かを気に入ってくれたの?
人はなんて欲張りなんだろう。二人だけで会話してみたいという願いは、あっという間この人の物になってみたいと変化していく。SMチャットで出会った相手で、しかもSさん。お互いにフリーなのだから、ちょっと、「振り」だけでもしてみたい。リアルじゃない気安さから、ついつい、そう思ってしまう。
私は、引き寄せられるようにマイクを繋いでしまっていた。蓮さんの承認が降りるのをじっと待つ。まだかしら?遅い・・・。もしかして、軽い女と思われちゃったの?嫌われた?それとも操作が分からないのかしら。
私を。受け入れて。・・・お願い。拒絶しないで。
ようやく承認が降りた時に、私は、緊張のあまりに固くなっていた身体の力がどっと抜けて行くのが分かった。
「蓮さん、こんばんは。私を・・・・。あなただけの下僕にしてくれますか?」
自分の口から出た唐突な言葉は、私自身を驚かせた。
しかも、蓮さんからの返事がない。その待っている時間に、言ってしまった事の後悔が沸き上がる。でも、その反面、今までのチャットでの経験が、絶対に相手は断ってこないという、自信に繋がっていた。Mが飼ってくれと言って、それを断る人はいない。何と言っても、バーチャルなのだから。他の人がみているチャットの中でも、簡単に、調 教もどきの会話になる事はよくあった。その場だけのお遊び。そんな事、たいした事じゃないでしょ?
ううん、違う。だって、一度も自分から下僕にしてくれなんて、言った事無かった。それを、どうしてそんな事を。よりによって蓮さんに、そんな事を言ってしまったのか。あの、静謐な男性に、自分から足を開くような蓮っ葉な真似を・・・。
後悔と、期待の間を、行ったり来たりしている事に、私は、苦笑した。これでは、まるで、初恋の相手に告白した女の子のようじゃないか。
リアルでの経験が、私を勇気づける。実際に縛られているのとは全然違う。気に入らなければ、いつでも、離脱できる。スイッチを切って、その場を離れればそれで終わり。そんな、浅はかな物想いは、現れた文字に唐突に打ち切られた。
「私だけの下僕とはどういうことですか?」
「それは、ゆみかさんの心の奥底から出てきた言葉なのでしょうか?」
私の甘い認識は蓮さんの返事を受けて、ひっくり返った。初めてすり寄った相手にひっぱたかれたような気分だった。SMチャットで知り合う男性の多くが、会った事もなく、何度か時間を共有しただけの相手にネット調 教の誘いをかけるのは、それが、ただの言葉遊びだと思っているから。だから、こんな時は、大げさに喜んでくれたり、言葉で辱めたりしてくるのが常なのに。
喜んでもらえなかったショックと、その反対に、ああ、やっぱり・・・この人は他の人とは違うんだと言う不思議な嬉しさが交錯した。
「下僕になるということは、主人が死ねと命ずれば死もいとわないということではありませんか?」
「そんな事、現実じゃありえないでしょ?・・・・下僕と主人って言ったって、私の面倒を全部みてくれる訳じゃないんだし・・・・・。」
「では、あなただけの下僕などと気安く言わないことです」
蓮さんの、文字が、ぽつぽつと雨だれのように私の胸の中に落ちてくる。私は、この人ともっと話したいと考えてしまう。蓮さんの言う事は正しい。なのに、なぜか『自分』の存在が拒絶されたような、辛い気持になってしまう。
優しかった人が急に遠ざかった。
そして、ぬくもりも・・・。
でも、そんなの変じゃない?だって、私は、虐げられる事を望んでいたんじゃなかったのかしら?
「自分から飼ってくれなんて淫乱だな。」とか「ひざまずいてご主人様にお願いしろ。」とか、言ってもらう相手を探すために、チャットへ行くんじゃなかったのかしら?それがMって事で、酷い事を言われる事で、一段下に扱われる事で・・・私は満足するべきなんじゃなかったの?
「私は本当に全部を投げ捨ててでも私の元にくる者があれば、面倒を全部見ますよ。それが私の考える調 教でありBDSMですから」
だから、冷たくされたら、嬉しいと思わないといけないのじゃないんだろうか?
「蓮さんは、そんなふうに、女性の面倒をみた事があるんですか?」
蓮さんの手が、足もとに膝まずく誰かの頭の上に乗せられるシーンが、頭の中をよぎっていく。私ではない誰かの頭の上の手。おかしい。一度も見た事のないはずなのに、こんなにはっきりとその手が見えるような気がするなんて。捻じれるような羨ましさと、妬ましさと、寂しさが一緒に襲ってくる。
「いいえ 今までいい人にめぐり合っていないですね。でも、そういう人が本当に居るのなら、主人として当然、すべての面倒を見ますよ。Disciplineというのは日本ではあまりないですが、もし、出来るのであれば それこそが、私の理想ですよ」
言葉が、心を捉え、言葉が、少しずつ、私を変えていく。透明になった私の世界の殻は脆く薄く引き延ばされて行く。その透き通った色に。その向こうに透けて見える世界の美しさに、私は、身をあずけてしまいたがっていた。
続く・・・
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