2008
21の冬
僕が彼女に出会ったのは大学三年の冬の事だった。大学に進学してすぐに父が急逝したために、僕は夜の時間のほとんどを、飲み屋のバイトをして過ごしていた。水商売があっていたのか、いつの間にか、実入りのいい店へ移動し続けているうちに、ハプニングバーの黒服をするようになっていた。夜の世界は、僕にとっては住み心地のいい青いライトで照らされた水槽の中で、ただ、たゆたっているだけで生きていける。
生きるためと学ぶために、バイトをしてるのに、目的以上の金が入ってくるようになり、一年もたたないうちに、休みの日には、ほかの店でちょっと遊んだりしてしまうほどになった。同級生とは一線を隔した時間が、心地よく、21年間被って過ごした、昼間のいい子の顔の方が、無理をしているような気になっていた。まだ、まだ、物知らずのひよっ子にすぎなかったのに、錯覚とは怖いものだ。そして、僕は、彼女に会った。

休みの日に通う、別のパプバーで、出会った彼女は、そんな場所にそぐわない、清楚なスーツ姿だった。年は30歳後半だろうか。どうして、こんな場所に紛れ込んでしまったのか。あまりにも目立っているので、一人で来ている男性が次々と彼女の横へ座っては声をかけて行く。おそらくは、カップルで入れる部屋に一緒に移動しようと誘っているのだろうが、彼女は堅い頬を緩めようとはせず首を振り続けた。
一通りの男性が誘ってしまうと、彼女はポツンと取り残された。それから、どうするつもりなんだろう・・・と、一番壁際のスツールの上で、彼女を見つめていた僕の方へくるりと身体を回した。ぶしつけな視線に気が付いていたのだろう。斜めになって壁に寄り掛かっている僕をまじまじと上から下まで念入りに眺めまわした。

ずっと、見ていたんだから、見られても文句の言いようがない。お互いの視線が絡み合って、みつめあう。彼女から見れば、今まで彼女を誘おうとしてた男たちと違って、僕なんか子供も同然だろう。だが、しばらく見つめあっただけで、一言も交わさないうちに、彼女の傍に行くべきなのだと分かった。
別に、彼女が視線や態度で誘った訳でも無く、そばへ来ていいと示したわけでもなかったのに、当たり前のように立ち上がり、当たり前のようにその隣に座った。だから、どうという事もなく。ただ、並んで座って飲んでいるだけだったんだけど・・・。

その日のうちに、ホテルへ行った。
彼女は、移動する道の途中で僕に「縛られたい」と、打ち明けた。後から思うと彼女はいったい僕をなんだと思っていたんだろう、と、すごく不思議になる。僕は背こそ、まあまあ高かったが、取り立てて人目を引くような容姿って訳ではない。つまり、どこから見てもただの20歳の男だったのだ。
そんな男をひっかけて、いきなり「縛られたい」と要求したって、「縛れる」わけがあるはずない。あるはずないんだけど、偶然にも、僕はそれが可能な男だった。去年から勤め始めた自分の職場で、ハプニングの手伝いをするために、マスターがママを使って僕にある程度の縛りやプレイの手ほどきをしてくれていた。
彼女は、昨年の秋に夫を亡くした未亡人だった。子供はいない。そして、彼女は、自分を縛ってくれる男を探しに決心して夜の街へ出てきた。それも、出てきたばかりの一日目。そして、拾った僕が一緒にホテルへ行く初めての相手。あまりに出来すぎだろう、それは。絶対、嘘に違いない。そう、思いながらも、やっぱり、嘘ではないだろうと云うのが、短いながらも夜の街で生きてきた僕の勘だった。

一番近くにあるSMが出来るホテルへ連れて行った。言われるがままに縄をかけてやり、ベッドへ転がすと、彼女はじっと黙っておとなしく横たわっている。その横に座ったまま僕は、彼女を見つめた。目をつぶっておとなしくしている彼女の腕は後ろにくくしあげられている。その指が時々もぞもぞと動く。だんだんと色が変わってきて、だんだんと痺れてきて、だんだんとつらくなる。
だが、彼女は動かなかった。動くのは後ろで縛られた掌の先だけ。そこだけがまるで生きているかのように、そこだけがまるで彼女自身だというように白くて細い美しい指は、彼女の苦痛を表してひらひらと動く。何かをつかもうと、ひらめき、抑え込んだ苦痛を発散しようとうごめく。

大学を卒業するまでの一年間。僕は彼女と遊んだ。十日に一度、そのホテルへ行き、彼女を縛り、好き勝手した。主人とか下僕とか、愛とか、恋人とか、全く無関係の無秩序な関係。セックスどころか、キスもしなかった。言葉すらほとんど交わさなかった。入口で待っている彼女を部屋に連れ込んで、服を脱がせては縛る。彼女はほとんど抵抗せず、かといって、従う訳でもなく、ただ淡々と身体を差し出してきた。
縄が体に回り、締め上げ、身動きがならなくなってくると、彼女の身体はピンク色に色づいてくる。まるで、人形のように無表情にじっと固まっていた身体がほどけてくる。あえぎ、息づき、ほころび、膨らみ、花開くその様を、僕はいつもじっと見つめた。
足を開かせる時だけ、彼女はいつもあらがった。
「恥ずかしい。」
顔も頸筋も身体もまっかにして、厭がる。そこを膝を使って無理やり押し開き縄をかけて、もっとあからさまにむきだしにする。すっかり濡れそぼった彼女の花が、息づいてゆっくりと開いていく様を鑑賞し、それから、軽く触れてやる。手が近づいてくる気配に、彼女は息を呑み、身体を硬直させる。そして、その瞬間を待つ。僕の指先が触れ、痙攣と共に自分が達する瞬間を・・・。

あなたが卒業したら、もう、こない。最初からそう云う約束だったから、別れらしい別れもなかった。自分の中でこれが最後だなと想い。彼女も何も言わなかった。ただ、最後に縄を解いていく時に彼女の瞳から涙が一粒こぼれた。僕がいなくなることを惜しんだ涙じゃなかった。相手もそれを知っていたし、僕も知っていた。逢瀬が三回目になった時に、彼女のために買った縄を揃えて巻くと、軽く結んで僕は横たわる彼女の傍に並べた。
冬になるとその事を思い出す。僕は、あの後、新しい縄を何度も買った。
