2007
18の夏
18歳の夏、僕は忘れられない女にあった。その夏、形ばかりの受験勉強を理由に軽井沢へ避暑に出かけていた僕は、自分の部屋から隣の別荘の窓が見えることに気がついた。去年までは隣家との間をさえぎっていた大きな木が、枯れてしまって根元のところからばっさりと切られていたのだ。そして、その隣の別荘には、初めて見る美しい女性がやはり同じように都会の酷暑を避けてひっそりと過ごしていたのだった。

彼女に魅せられた僕は、家にあった双眼鏡を探し出して、別荘のありとあらゆる場所から、彼女の見える窓を覗いた。別荘に僕の食事のためにやってくる通いの家政婦が帰ってしまうと、大きな家は僕一人だけになる。家中の電気を消して見つからないように、密やかに。僕は窓から窓へと移動し、わずかでも彼女の姿が見える場所を探した。
時には、我慢がならずにそっと隣家へ忍び寄り、あらぬ場所にいる彼女の姿を追い求めることもあった。恥知らずの所業だとは分かっていても、恋の熱に浮かされたようになった僕はやめることが出来ず、夜毎に悶々と眠れぬ時間を明かりの消えた窓の中の彼女の姿態を想像して過ごした。

いつからだったのだろう。彼女がそんな僕の存在に気がついたのは。いつの間にか、彼女は窓の傍に寄り、そして見つめている僕に見せ付けるかのように、思いもよらぬ痴態を示し始めた。彼女のいる部屋のカーテンは開け放たれ、明かりが煌々とともされた隣家の窓から窓へと、彼女は移動する。その移動の度に閉められ、次の部屋へ移ると引き開けられるレースのカーテンが、はっきりと意思を示して僕を誘う。

時折、僕の姿を確認するかのように視線を向けながらも、彼女はそ知らぬ顔で服を脱ぐ。窓に張り付き、高鳴る胸を押さえ、息を潜めて、猫のように闇を移動し、その姿を追い求める僕。震える指で双眼鏡を握り締め、露わにされる白いその肌が、濡れたように光を放つその様を、じっと見つめ続けた。

僕が見つめ、彼女が見せつける。僕が仕掛けた行為だったのに、いつの間にか彼女が仕掛けた「げえむ」のように、僕は夜毎の覗き見の行為に囚われていた。明らかに、彼女は僕の存在を知っていた。挑発し、誘惑し、明かりに反射するレンズを見やってくる彼女のまなざし。
誘うように、くねる身体。吐息をつく唇。脱ぎ捨てられる白い下着。僕は窓に張り付き彼女の姿を求める。僕がそこにいて、彼女がそれを挑発する。僕たちは、覗き、覗かれるその関係に没頭した。まったく一言も口をきかず、会ったことも無い男女が、二枚の硝子を隔ててのめり込む淫蕩な「げえむ」。

ドアを開けて外へ走り出て、彼女の別荘のドアを激しく叩きたい。彼女をかき抱き、思いのたけをぶつけたい。何度もその衝動に捉われながらも、僕がそれをしなかったのは何故なのだったのだろうか。
お互いに会った事が無い事が、お互いに何をしていると認めないことが、僕たちの危うい関係を、かろうじて支えているのだとなんとはなしに気がついていたからなのだろうか。

一夜毎に強く、一夜毎に深く、僕たちはお互いの官能を高めていった。僕の視線は、彼女を淫らな遊びに熱中させた。おそらくは、幼い頃から厳しくしつけられ、お供無しには一歩も外に出してもらえないような人生を送ってきたであろう彼女の無言のお遊び。
僕の妄想は、その彼女の熱い視線に絡めとられ、思い惑う。いつの間にか、彼女がそれ無しではいられなくなり、その首に繋がれたリードを持っているのは僕であるかのように・・・。

彼女を縛りつけ、痛めつけ、自分だけのモノにしたい。いや、この夜毎の行為は、とうの昔に則を越え、この不義の関係はお互いの胸中を食い荒らしているのではないのか。愛おしいひと。僕だけの手の中で、痴態を晒す、慎ましいはずの女性。羞恥が溢れ零れ落ちる。桃色の吐息が見えるようであり、汗ばむ肌がうごめく様は、妖しい奇形の生き物のようにくねくねと悶え続けた。 その瞬間は、彼女は僕のモノであり、僕は彼女のモノだった。闇の中、夜の中、そうして僕らは「ひとつ」になった。触れ合うことも、確かめ合うことも無く、それでいて心の奥深くまで「ひとつ」に溶け合っていった。

夏の終わり、高原の人々が地上へ降りて行く日。僕は彼女が定められた遥か年上の男の元に嫁いで行くこと聞いた。
萌ゆる 夏草 紫草の野辺
流るる水は青き秋 月のかかりし藍は 夜空・・・
なべてゆかしきは春秋 歌に詠めるごとくあはれつのりて
羨ましや 我が心 夜昼君を離れぬ
