2005
イマージュ

「鞭を振るのに疲労を覚えたクレールはいったん一息入れることにしたが、その機に、囚われの娘があげる咆哮するような叫び声が街中を驚かせないよう娘に猿ぐつわをかませたのである。ついで、金具の支えに使いやすいように載せられた、小さなアルコール・ランプを手の届く位置に引き据えた。いったん燈心に点火すると、そうした目的のために工夫された台を使って、炎の中へ器具を並べた。わたしはその長い金属の先端が極度に細い針を驚きいって打ち眺めた、もう一方の端には細い木の柄が鞘のように蔽い、指を火傷せずに持てるようになっていた。
鉄の針がまっ赤に焼けてくると、クレールほそれを使っていっぽうの乳房からもういっばうの乳房へと心得た手つきで責めにかかった。さらにまた内腿の奥深いつけ根のまだ鞭がとどかなかった部分へと及んだのである。
彼女ほゆっくり時間をかけて責め、情をこめて拷問にいろいろの手加減を加えた。まず初めは肌の表面に軽く針を触れさせ、ついで徐々に力を込めてゆき、最後には鋭くとがった先端を一ミリも肉の中にくいこませる。娘の絶望的にのたうつ身体の動きが、クレールの仕事を少しばかり妨げていた。けれど、猿ぐつわをはめていてさえ聞えてくる、苦痛にあえぐ坤き声ほ、そうした彼女の労苦を報いて余りあったのである。今やもうおびただしい涙が、黒い目隠しの下から生贅の鼻翼を伝って溢れ落ちていた。吐く息も次第次第に荒くはずんできた。
再びクレールの責めは胸元に立ち帰り、腋下の横の丸みや薔薇色をした乳頭の周囲を激しく攻撃し始めたが、その時、身体を四方にいっぱい拡げ離している環を強く引くので娘ほ四肢を引き裂いてしまうのではないかと思えたはどである。」(行方未知訳・角川文庫)
男は愚直で、よしんば自分がなにものでもないとしても、そうした自分をあがめるように望む。いっぽう女性はひたすら、四裂の刑に処せられたみずからの肉体、愛撫されるかと思えば打擲(ちょうちゃく)され、ありとあらゆる恥辱に開かれながら、絶対的に自分のものでありつづける肉体だけを崇拝する……1956年にフランスで発表され直ちに発禁となった「苦痛と歓喜の美学」(末尾解説)
大好きな作品です。1975年のアメリカの映画でDVDも出ています。残念なことに、映画は、まだ見ていません。もし、見たことがある人がいたら、感想を教えてくださいね。
アマゾンで、Kindle版になっていますよ。
