本来「拷問」は、なんのために行われるのでしょうか。それは「隠している真実を語らせる事」あるいは「拷問執行者の考える作り事を語らせる事」のためではないでしょうか。
過去の魔女狩りの時代には、拷問は自白を得るために行われていました。その場合、相手が本当に罪を犯しているか、かけられている嫌疑が冤罪かどうか、関係ありませんでした。自白さえ得られれば、魔女として火炙りにすることができたからです。
反対に真実を語らせるためにはもう少し繊細な仕事ぶりが必要です。痛みや苦しみから逃れるために、あること無いこと作り事を話されてしまっては、元も子もありません。欲しいのは真実であり、事実だからです。
では、SMの中にある「拷問ごっこ」は、なんのために行われるのでしょう?それは、責め手のサディズム、そして、受け手のマゾヒズム・・・故と言うしかありません。それだけにお互いに真剣にやらなければいけません。安全と云う枠の中で、お互いの中の「演技」をどれだけ払拭できるか。どれだけ本当の感情を沸き立たせられるか。それはまた、崖っぷちを一緒に覗き込む行為である以上、信頼と愛情が試される行為ともいえるでしょう。

さあ、あなたは、今、その、舞台の上に乗ることができますか?