2021
Slaves in love.

↓動画は貼付けられなかったので
クリックしてxhamster.で見てください、

ゴムの鞭を受けやすいように姿勢を変え、グラスを乗せると通電するトレーを差し出す女性の涙に萌えてしまう私はやっぱり鬼畜です。(笑)この動画は、Slaves in love.というサイトの作品で、題名のとおり、愛を抱いている奴隷達を描いているように思われます。
さて、SMの行為は、抵抗できずに受け入れるしかない事と、命令されて受け入れる事と、受け入れたくないことでも自ら差し出さざるを得ない事に分かれていると思われませんか?
確信していますが、拘束されて吊されて鞭をするときに、ちょっともがいて抵抗して、泣いたり許しを請うたり、叫んだりするのはかなり興奮を呼び覚ます行為です。心の中にあって抑制されている鬱屈した感情や悩みも同時に外へ出て行き楽になります。Sにとっても、自分の自由になる相手と絡む行為は、欲望を満たす最たる行為だと思います。
また、主と思い定めている相手に「動くな」と言われて、苦痛や恥辱や快楽を受け入れる事は別の意味で、主との絆を思い起こさせる行為です。ですから、お互いに、満ち足りた思いが溢れてくるかもしれません。
では、自分の望みでもなく、主の直接的な命令でもなく、ただ、それが必然とされる行為である時はどうなるのでしょうか。ここの分かれ目は非情に曖昧で、ほとんど同然の行為かもしれませんが、自らを自らの意思で主に差し出すことは、最たる忠誠の証のように思えるのです。
SをSたらしめているのは、M側の気持ちの果てで、Sの一方的な思い込みは、社会的には受け入れられることはありません。
SMに忠誠を求めるのは愚かな事なのでしょうか。けれど主従関係の「仕える」と言うことの中には自己犠牲や忠誠が確かにあるように思えるのです。だからこそ、主は、主たらんとすることに身を削る努力をするべきなのでしょうね。我が身を振り返るとどうにも足りぬ事が多いように思いますが。。
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