2009

02.12

狭間に・・・3



 ベッドヘッドに掛けた縄で、手首をひとまとめにして縛られた。緩く回されて、締まらないように縄止めしてある縛めは、お飾りに近い。けれど、その飾りがあるだけで、私は満足だった。自分で、縄を引いて、その飾りの存在を確かめる。愛撫にすっかり火照った身体を、うっとりと、夢心地にまかせて伸ばし、くつろいだ。
 うつぶせになった、足首に手が掛る。ぐいっと、引っ張られて、足にも縄が巻きついてきた。どうやら、今日は、足も縛るらしい。それは、結構、珍しい事態だったので、私は、少しわくわくする。ちょっと逆らって、少し喘いで見せて、それから、広げられた足を閉じようと試みる。足が閉じられない事を確認して満足するために。

 人型にベッドにくくりつけられた私は、ちょっとだけ不自由になった身体をもう一度伸ばしてから、もぞもぞと、居心地のいい場所を探して蠢いた。
 ぱらり・・。身体の上をゴムチューブを束ねた、お手製の簡易バラ鞭が移動した。房が短いので、あまり音がしないし、扱いやすいので、最近の彼のお気に入りだった。叩く場所によっては、かなり痛い。場所によらなくても、強く打てば、しっかり痛い。
 部屋に流れていた音楽のボリュームが少し上げられた。おや、本気で叩くつもりらしい。たまに気が向くと、彼は、そう云う事をする。
 ビシッ・・・。第一打目が、身体の上に振り降ろされる。まだ、素の状態の私は、その痛みに軽くすくんだ。

 どうして。どうして、打たれたいと思うんだろう?それは、私自身、いつも不思議のタネだった。痛みは「痛み」で、それ以上でもそれ以下でもない。私たちの関係では、特にそうだ。従うことも無く、支配されてもいない。私が望み、彼が与える。望んで差し出した身体には、縄は、あっても無くても同じだ。
 それでも一回目のターンの間、私は、身体を捻ったり、叫んだり、もがいたりする。実際に痛くて、ゴムチューブが身体に当たる乾いた音を、楽しむ余裕もない。
「いたっ・・。」
 小さな悲鳴。痛い、痛い、と、泣いて見せて、身体を捻って、痛みを散らす。ほどほどの打擲だから、わずかでも動けると云う事は、痛みを耐える事もたやすくなる。身体中がひりひりと赤剥けになってくる感覚が、徐々に広がって行く。

「おしまいにする?」

 なぜ、そんな事を訊くのだろう?私は必ず「続けて欲しい。」と、答えるのに・・・。それでも、答える前に私は必ず躊躇う。痛いのには間違いなく、なぜ続けるのか、分からなくなる。やめてと言って、終わりにしてしまえば、もう、痛い目に会わないですむ。それでも私は、必ず「もっと」と、答える。

 2回目のターンはさっきよりも強い。叫ぶ声も、大きくなって、身体は勝手に踊り出す。私はこずるく、あまり痛くない場所へと打擲を誘導しようと身体を捻じる。毎回、鋭い痛みに泣くよりも、ちょっと、休憩が入った方がいい。もくろみは、場所を変えようとする彼の意図とすれ違い、大きな悲鳴を上げる羽目になったりする。
 もう、ちょっと。もうちょっと。後、少しでおしまいだから。これは、そんなに長くは続かないはず・・・。
 2、3打、打っては、その赤く火照った場所を、なぞるように掌が滑る時、くすぐったいような感覚が高まって、打ち寄せてぶつかり跳ね返る。波しぶきが砕けて引いて行く時には、裏返ったそれは快感へと姿を変える。心地よさに酔い。陶酔に揺れる。

「おしまいにする?」

 迷う気持ちがない訳じゃないのに、私は結局続ける事を選ぶ。叫ばなくてはならないのが分かっているのに、続ける事を選ぶ。叫び声が湿ってきて、泣き声混じりになるとしても、やっぱり続ける事を選ぶ。

 3回目のターン。痛みが火花のように散って、その余韻が消えていくのを楽しむうちに、その向こうに、身体の反応が変わって来るのが分かった。もしも、本当の鞭だったら、こんなに簡単に、見えてくるはずはない。私は本気で泣き叫び、二度と打たれたいと思わないはずだ。心の底では、そう確信しながらも、最初のターンの痛みはもうそこには無い。
 すっかり腫れあがった身体に、強く打ちつけられるゴムチューブは、絶対にさっきよりも強いはず。もう、おしまい。もう、終わり。やめて。もう、やめて。心の中で繰り返しながらも、身体はもう逃げない。のけぞりながら、貪欲なまでに、痛みの向こうに高まってくる物を味わいつくそうとする。

 ぱんっと、弾けて。今、弾けて。ほら・・・・みえる・・・はず。

 くるり・・。指先で廻した名刺の上に、澄まして並んでいる、男の名前。この男が私の身体に手をかけたら、私は平静ではいられないに違いない。恐怖で、固くなり、与えられた痛みに逃げ回り、無様に泣き叫ぶのだろう・・・。
 目を閉じた、その闇の向こうにある物を、私は欲しいと思っているのだろうか。痛みは、ほどほどで無くても心地よいものだろうか。そんなはずはないだろう。「痛み」は、やっぱり「痛み」。心地よいものであるはずがないのに。私は、苦笑して、自分の中にある思い出を、そっと押しやった。


続く

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    2009

02.11

狭間に・・・2




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20081226183537.jpg



「もし、気が向いたら。」

 男は、そう言って、名刺を差し出した。
 素性の知らない女に、こんな事して、平気なんだろうか。一瞬、そう思ったほどに、ちゃんとした肩書の名刺だった。そう思ってから、自分が、自分の事を、不用意に接触するのが危険な女だと、位置付けている事に思わず苦笑した。今までは、ずっと、私の方こそ、知り合う男に用心していたのに。

 家に帰って、ブラウスを脱ぐと、掴まれた腕に赤く男の指の跡が残っていた。指でそっとなぞると、鈍い痛みが甘く甦る。
 温かい風呂に、ゆっくりと浸かり、髪を洗って軽く乾かすと、さっき考えていた通りに布団の中にもぐりこんだ。

 眠れない夜に、布団の中に居る時の、あのしんどさはどこから来るのだろう。不安が凝り固まって実体化し、胸の上に乗っているような重苦しさ。じっと同じ姿勢でいられなくて輾転反側する。闇が、たわんで、縮んでくる。私を押し包むように。反対に部屋の四隅が遠ざかる。身体が布団に沈み込んで行く。歯を噛みしめて、シーツにしがみつく。その息苦しさは、起き上がらないと消えない。
 耐えきれず、諦めて、PCの前に座る。モニターの灯りを見つめていても、いたたまれない焦燥感や恐怖はあまり変わらないのだけれど・・・。その方がどこかしら楽なような気がしてしまう。胸の上に乗っていた不安が、背中へ移動するだけなのに、不思議だ。
 ペーパーウェイトに使っている剣山の上に、掌を乗せて、ゆっくりと押し付ける。自分でコントロールする「痛み」は、なぜ、痛みとして認識できないのだろう?手を持ち上げ、ぽんぽんと自重に任せて打ちつけると、先端が鋭くなったと感じる刺激の中に、自分の中に重苦しく固まっていたものが溶けだして行く。薄く挽く剃刀の下の白い肉に盛り上がる赤い血のように。現実感が戻って来る。私はどこへ行っていたのか・・・。ずっと、ここに居たはずなのに。

 だが、今夜はそんなあれこれについて考えなくてもいいだろう。潜りこんだシーツの中に、自分の温もりが溜まって行くのを待ちながら、私は、さっき起こった出来事を反芻した。腕に残っている、指の感覚とともに。

 「もし、気が向いたら。」

 気持は最初から、そっちへ向いていた。もしかしたら・・・。もしかしなくても、きっと。目を閉じて、そう言った相手の顔を、思い出そうとしてみる。だが、すでに、彼の顔の記憶は、曖昧になっていた。暗いバーの中で、相手の顔などよく見ていなかったせいもある。けれど、あのぬくもりは憶えている。もたれかかった男の身体の、服の下の硬い筋肉。
 男の事など何も知らないのに、その腕の中で、泣き叫び、そして、しがみつく事を考えて、私は身体を熱くしていた。
 ほんとうにそうなのだろうか?彼の言う気が向いたら・・・は。
どこかしら、否定して、消し去ってしまいたがっている。いいや、それ以上に、自分がそれを希っている事が怖かった。選んでしまうと、もう、後戻りはできないような気がした。偽っていた欲望が、ぬっと顔を出した。その熱さに私は、焼かれようとしていた。


続く
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